幸を求めて七福神めぐり NO.2
フロンティアエイジ12月号 第8面より
幸を求めて七福神めぐり NO.2
日中印を合体 遊び心の産物 霊場急増ここ30年
地域で信仰されていた神仏を、いつとはなく庶民が巡礼場所に定めた歴史から、近畿には多様な七福神めぐりがある。
江戸期のものを復興した「都七福神」「大阪七福神」、電鉄会社の肝いりで組織された「西国七福神」、今回紹介するもの以外にも自治体や観光協会主導の「丹波七福神」「北摂七福神」、有志が知恵を絞って決めたなどなど。京都・泉涌寺は寺内に七神がそろう。
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朱印を準備している社寺も多い。その場で筆書きしてもらえる所、印刷したものに朱印が押される所、スタンプだけなどさまざま。朱印代はおおむね300円だが、無料のところもある。
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七福神めぐりは、七神を巡拝することで、幸を授かろうという信仰。日本生まれの恵比寿(恵比須)、インド由来の大黒、毘沙門(びしゃもん)、弁天(弁才天、弁財天)、中国からの福禄寿、寿老人(寿老神)、布袋(ほてい)という組み合わせだ。
福神研究の先駆者、喜田貞吉によると「室町時代末に流行して、掛け軸に描かれた神仙人物などからヒントを得て、竹林の七賢人にならい、また、仏教の七福七難という文言から得てつくりだした」(『民族と歴史』所収「福神成立」大正9年)のが起源のようだ。
道教の影響を指摘する説もあるが、いずれにせよ室町時代の禅僧ら知識人が「相集まって愉快に遊戯する神の図」を画材として楽しむうち「滑稽を楽しむ」心から、だぶだぶ帽をかぶせたり(大黒)、頭でっかちにしたり(福禄寿)、突き出た腹にしたり(布袋)の図像が定着。やがて庶民に広まったのだが、霊場が爆発的に増えたのは、実は昭和50年代以降、ここ30年ほどのことになる。

































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